はじめに。 躁鬱病エンジニアの人生観ヽ(•̀ω•́ )ゝ✧

そこに見える景色が一つだけと思わないほうがいい。
心の有り様次第でそれはいくらでも変わるのだ

もくじ

第1章 双極性障害に気づくまでの32年間

第2章 闘病生活最後の希望、瞑想

第3章 社会への帰還

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第4章 瞑想で書き換える人生観

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はじめに。 躁鬱病エンジニアの人生観ヽ(•̀ω•́ )ゝ✧

自分の精神状態について意識し始めたのは
僕は確か、中学生の頃だ。

今は気分がいいな、とか
今日は冴えてないなぁ、
なんて。。。

誰しも大なり小なりその日その日で調子の良し悪しはあるだろう。
だが僕は、調子の波が、変動が、普通の人より少し大きい。
シャキッとする時もあれば人一倍だらしない時もあったり
頑張ったり頑張らなかったり、テンション高かったり低かったり。

子供ながらに僕が特に気に留めていた事は、

どうすれば僕は常に頑張れるのか?

ということだ。

少なくとも僕は、子供の頃から
がむしゃらに頑張れば良いというわけではないことを知っていた。
頑張れる時は頑張れるけど、
そうでない時は徒労に終わることを知っていたからだ。

では、どうすれば僕はコンスタントに頑張れるのか!?
実に32年間も分からなかった。
いつ、どんなタイミングで、自分にスイッチが入るのか。。。
それはそもそもコントロールできることなのか。。。
自分を、自力で、コントロールできるのか!?
これは人生最大のテーマだったと言ってもいい。

かつて僕には自制心がなかった。
継続的な努力なんて、到底出来なかった。
僕は、いつでも頑張れる人、自制できる人が、
心底羨ましかった。

今思えば、子供の頃の僕のムラっ気は個性の範疇。
その頃は病的ではなかった。

今は違う。状況が変わった。
僕はここ数年で病んでしまった。
超えてはいけない一線を、ついに超えたのだ。

だらしない自分は個性や努力の欠如というレベルではなく
双極性障害(躁鬱病)っていう病気のレベルであるという、
受け入れ難い事実。しかもこれ、実は不治の病。
努力で解決出来る人は、幸いにも健常者である。
いやむしろ、健常者の定義とは
努力でどうにかなるレベルの人のことかもしれない。

特に僕みたいな精神障害者の場合、頑張るべきは
目の前のことではなく、気分をコントロールすることだ
ということを、ここ最近知った。
いや、子供の頃からなんとなく知ってたんだけど、
2015年の闘病生活を通じて、改めて思い知らされた。

そして僕は闘病を通じて、やり方さえ間違わなければ
頑張らずに頑張れるってことを体得した。
3カ月間会社を休み、色んなことを試し、
ついに心を手なづける手段を見つけたのだ。

ここでいう手段とは、瞑想である。

心をコントロールできるようになり、改めて確信したが

  • 結局のところは何事も気分次第。
  • 幸せかどうかは心が決める。状況は関係ない。
  • 正しい気分なら何もかもあらゆる事が
    めんどくさくはないし、辛くもない。

これが今のところの結論だ。
であれば、心を自力でコントロールできれば、人生はより豊かになるだろう。
病んだ僕でも苦労せず頑張れるのだから、健常者の皆さんが正しく努力すれば、
人生の苦労はどれほど少なくなることだろうか。

頑張らずに頑張るって変な表な表現だが
瞑想を体得した今の僕は努力と苦労は全くの別物だと考えている。
努力と苦労は似て非なるものだ。苦労すれば結果に繋がる訳ではない。
苦労しているから俺、頑張ってる!なんて、大きな間違いだ。
何事も、正しく取り組めば、辛くはない(苦労ではない)のだ。

ここでいう何事もってのは、ズバリすべてのことだ。
正しくとは、心の持ちよう、精神のあり方が正しいということ。

心を正せば何もかも上手くいく。

心は努力すれば、個人差はあれどコントロールできる。

僕みたいな精神障害者ですらコントロールできたのだから、
皆さん?のような健常者であればなおさらだ。

心は、手なづける事ができる。

そして心を正す手段の一つは瞑想である。

これが僕の最初の主張だ。

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