【自己紹介&前書き】メンヘラエンジニアの生立ちと就職後の苦労話

話変わって、別の側面での僕の個性の話。
振り返ってみるだに僕は生まれついての「理系」だ。昨今「理系男子」なんて言葉が市民権を得ているような今日この頃だが、僕は良くも悪くも昔っから典型的な理系男子、そのものだった。
 ただ、病的ではないにしろ「普通」でも「健常者」でもなかった。わずかばかりのADHD的な気配があり、軽度の自閉症、いわるゆアスペルガー症候群のような
「個性」をもった子供だったと思う。

好きなことにはとことん集中!興味無いことは一切無視!
コミュ力はあったりなかったり。

そんなアスペっぽい僕が子供の頃に強い興味を示したのが科学だ。

小学校や町の図書館にある理系が読みそうな本を片っ端から読むのが好きだった。それとなにより機械が好きだった。車、バイク、飛行機、等の乗り物を勉強することに執着する子供だった。執着。

好きとかじゃなく、執着。執着していたと思う。

 僕は瞑想による執着からの解放を、この本では言及したい。

執着は方向性さえ正しければ悪いこととは思わない。
今でも子供の頃に理系的なことに執着してて、よかったと思っている。

だがこれは実に稀なケースだ。

 ギャンブルだったり酒だったりタバコだったり異性だったり、好きなことは度を越せばそれらは依存・すがりつきとなり、ひいては気づかない間に人生の負担となってしまうことも世の中には多い。

 執着はなければ無い程人生は楽であり、執着や執着を無くす事で穏やかな人生を過ごせる。そして瞑想が、その手段となりうる。

という事を、この本で皆様に伝えたい。

 瞑想には悟りという概念がある。

 僕の場合、悟りとの出会いは突然だった。
 衝撃的で、穏やかで、幸せな瞬間。
その日、僕の人生観は書き換わった。
その境地までたどり着けば、一切の執着から解放されるのだ。

 あらゆる宗教で口すっぱく説く、煩悩・強欲からの解放である。

たとえ悟りにまで辿れつけなくとも、瞑想をやればやるだけ不思議と執着は消えていくものだ。その効果は精神安定剤ほどの即効性はないものの、穏やか、かつ確実に、メンタルヘルスを改善してゆく。

 今は子供の頃に執着していたサイエンスの知識や考え方を武器としてサラリーマンエンジニアで飯を食いつないでいる。かつての執着の対象が比較的生産的なことだったのは
今思えば不幸中の幸い、、、、いや、むしろ今の僕の人生を支えている大きな柱となっている。

 一方で、僕の興味無いことに対するパフォーマンスの酷さは特筆すべきものだ。
幼少の頃は理科以外の教科のスコアが散々な結果に見舞われる日々がしばらく続く。

アスペルガー症候群っぽさ全開の、少し変な子供だった。やりたい事は出来るけど、やらなきゃいけない事をその都度タイムリーにやる人間ではなかった。
 まぁ、当時は生きてて深刻に困ったことはないので、病的ではなかった。真剣に困り始めたのは、やはり社会に出てからだ。それなりの大人として、満遍なく、そつなくこなすことを社会では要求される。だが、僕は何でもできる訳ではない。

 僕は機械工学部卒の研究開発職だから研究開発っぽいことがとても好きな一方で、事務仕事なんて真っ平御免だと思っていた。考え事はできるけど、単純作業はとても苦手だ。
もちろん嫌いなことでパフォーマンスなんて一切発揮できない。だからそれなりにやりたい仕事が降ってくるよう、努力していた。
 とはいえ、やりたいことだけやれる仕事なんて、そうそうあるものではない。
サラリーマンとしてクリエイティブな工程から泥臭い作業、交渉事までいろんな仕事が降ってくる。何事も満遍なく、そつなくこなすことを苦手とする僕は、やはり苦労した。
結果、メンタル的にどん底まで1度落ちた。

辛かったなぁ、と思い返したいところだが
その時期の記憶はほとんどない。

 ストレスによる健忘症だ。

記憶が飛ぶくらいに辛かったんだからもし覚えていたらそれだけで本1冊かけるかもしれない。32年間の人生で2年間記憶が抜け落ちているというのはなんだか寂しいものである。

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