【瞑想テクニック】無意識の拡張とは何か。

 まず最初は無意識の拡張から説明したい。

 そもそも無意識とはなんだろうか。まぁ正直なところ僕だってそんな問い掛けされてもよくわからない。話のスコープが散漫すぎる。

僕がフォーカスしているのは「無意識的にやれることの範囲」である。

 皆様は無意識的にやっていること、について自覚的になったことはあるだろうか。
 例えば、キーボードタイピングしかり、車の運転しかり、世の中には無意識的にやれてしまうことが数多くある。

 しかもそれらは往々にして訓練で後天的に獲得したスキルである。
 例えば誰だって最初は自動車教習所にて車の運転を覚えさせられる。きっと最初は頭で考えて操作していたはずだ。だがやがて体が運転を覚える。

 僕はそれを無意識の拡張と言っている。

 僕は鬱になった時、車が運転できなくなった。
 より具体的に言うと、無意識的にやれてたことができなくなったのだ。
 クラッチ&シフトワーク、カウンターステア、駐車時の車両感覚などなど、普通の人が無意識にできることが出来なくなった。

 16歳の頃からレーシングカートにハマり、大学の頃は全日本学生フォーミュラでドライバーまで務めたこの僕が、普通車で市街地走行すらできなくなったのだ。

 最初はなぜ運転できないのか解らず運転が怖くなった僕は車をすぐ売ってしまった。鬱で「無意識的にやれることの範囲」が狭まっていたことを理解したのはその後だ。
 
 ある日、ふと、気がついた。自分がこれまで無意識にやれていたことが、
 何もかもできなくなっていたことに。

 無意識でやれることが、鬱で狭まっているんだと、僕は結論付けた。

何日か考えて、僕はある考えを思いついた。

無意識にやれることは、訓練で拡張できる。

そして鬱は無意識にやれることが、なぜか狭まる。

であれば、無意識の拡張を意識して訓練すればもしかしたらメンタル的にも良いかもしれない

という3段論法だ。

 僕は無意識でやれることの範囲を、訓練して広げようと思った。
 まず最初は炊事、掃除、そしてバイクの運転を無意識でやる努力を始めた。
 ちなみに家事全般、特に整理整頓掃除というのは鬱病の時に最も苦痛を感じる行為の一つだ。だがその練習こそが僕にとっては気分障害から立ち直るための近道のような気がしていた。あくまでこれは直感だった。

 意識的に無意識を徹底する、というのは一点集中と雑念の排除である。

 要するに瞑想しながら作業をすることの、訓練だ。

瞑想的気分で一つのことに最高に集中しながら作業をしながらも何も考えず、できるかぎりのことを脊椎反射だけでやりきろうという努力である。もちろん、音楽を聴きながら作業をするなんてとんでもない。僕なんか当初はなかなか慣れることができず1日中、耳栓をつけていた。

 意識的な訓練によりある程度集中力が上がると、そのうち耳栓は不要になった。訓練が進んだ今ではテレビがついていようが妻が近くで料理をしていようが、ながら瞑想に入ることができる。もっと修行すれば雑踏の中ですらながら瞑想ができるようになるかもしれない。

次に取り組んだのは

生活の中からマルチタスクを徹底排除する事だった。

無意識の拡張に、より深く取り組むためである。

 瞑想的気分に到達するには、雑念の排除と一点集中が欠かせないのだ。


 以来、僕は何かをしながら音楽やテレビを見ないようにしている。仮に音楽を聴くときは徹底して音楽に集中する。彼女が話しかけてきたらその受け答えに集中する。ご飯を食べる時は噛むこと味わうことにだけ集中する。どうしてもやらなければいけないことが複数ある場合はとにかく時分割する。電車に乗ってる時などの暇な時間は呼吸の練習か、読書、もしくは瞑想をするよう、心がけた。スマートフォンは極力見ないよう心がけた。少なくとも暇つぶしとしてのネットサーフィンはやめた。

 僕は自分のすべての行動を、創造的な事と瞑想的にやれる単純作業、そして休憩の3つのカテゴリーに区分けし、単純作業は全て瞑想的気分で取り組むよう、心がけた。
 創造的な事や判断、決断は、心が疲れる作業だと達観し、7月の間は極力自重した。

 瞑想的単純作業の時は、どんな細かいことでも一つ一つ丁寧に、手切れよく、やり切るよう、意識した。いろいろ試したけど、7月の修行の中で効果的だったのはこんなところだ。他は徒労だった。

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