理系男子が瞑想を通じて、宗教に何を見出したか。

 闘病生活に話しを戻すと、もちろん一番大切なこと、意識したことは、休憩だ。

 躁は休憩が下手くそになる。

徹底的に休憩を意識するのは躁における闘病のイロハのイである。正直苦労した。

 あの落ち着きのない心境で休憩に取り組むことは実に困難を極めた。休息がまず一番大切だが、それ以外にも闘病の一環として毎日訪れる躁の人格の間、僕は社会復帰のため、自分の改造にのめり込んでいく。

 まさしく修行の始まりだった。人生を賭けた修行である。

 とはいえ何をやればいいのかはもちろん知らなかったので手当たり次第、いろんなことに挑戦した。ジョギング、サイクリング、筋トレ、気分転換がてらのバイク行脚、家事、掃除、風水、宗教、ヨガ、瞑想、読書、お経通読、そんなところだ。

 結論から言うと、呼吸の練習と瞑想は効果覿面だった。
 ライフハックとしての宗教もなかなか良かった。

 呼吸、瞑想、宗教、それらを本気でやってみるとわかるのだが今、冷静に俯瞰するだにこれらは一本の線で繋がっている。不可分な概念だと思う。それらが目指している地平は皆同じだと思った。特に東アジアの宗教と瞑想は深いつながりがある。

 また瞑想と呼吸は切っても切れない存在だ。

これは知識というよりまさに体得だった。実戦あるのみである。
 騙されたと思って1ヶ月くらい取り組んでみないと効果は出ない。

 休職して2ヶ月くらい経ち、瞑想が上手になった頃、僕はようやく心が落ち着いた。

 僕はその状態を瞑想的な気分と名付けている。

僕にとっては鬱でもなく躁でもなく、単なる寛解でもない、また新たな人格だ。
 するとそれまで頑張っても出来なかったことが自然にできるようになった。いろいろなことができるようになった。ここでいういろいろなこととは、生活におけるおおよそ全てのことだ。躁だとやれることは限定的かつ極端になるが、瞑想的な気分を維持すると何もかもに、適切に、集中することができる。そしてちゃんと疲れて、休憩ができる。この本も、瞑想的な気分で文章を書くとどうなるか試したくなったというのが創作意欲の源である。

 例えば、適切に集中して本を読むことができるようになった。
 ちゃんと読書できる心境になった僕はそこから1ヶ月間、宗教と哲学の本を貪り読むこととなる。人間、追い込まれると宗教に逃げてしまう気持ちが、今ならよくわかる。日本人はある意味例外だが、全人類を虜にする宗教の魅力を、僕は垣間見た。

 一方、僕は理系だ。さして信心深くはない。理性的には機械論を信じている。だからこれまで日常生活で宗教を深く意識することはなかった。とはいえ、完全潔癖な無神論者でもない。

 神社でも寺でも普通に八百万の神へお祈りはするし、クリスマスも正月も関係なく祝う、友人が教会で結婚式を挙げるのであれば、ゴットの前で心より祝福を捧げる。
 お釈迦様、天照大神、ヤハウェ、ゴット、アッラー、地蔵菩薩、等々、すべての神へ無節操に祈りを捧げても別にいいやと考えている、なんでもあり派だ。もちろん自分の宗教が何なのかは自覚していなかった。排他的・攻撃的・独善的な宗教だけは嫌いだった。いわゆる日本人としてわりと一般的な宗教観だと思う。。

 無神論者ではなかったものの理系男子として不可知論、唯物論、機械論を信仰していたこの僕が、精神の病から救われたい一心で、それこそ藁をも掴むような心境で宗教について学び、何を感じたのか、この本で記したい。

 結局のところ僕はさほど信心深くないが、
 ライフハックとして宗教はいいなと率直に思った。

 人生をよりよく生きるためのヒントが、散りばめられているのだ。

 僕は約1ヶ月で自律神経失調症を克服した。
 普通、半年くらい療養が必要な病気である。
 気分障害からの回復はそれに比べて緩やかではあったが結局3ヶ月で社会復帰した。
 双極性障害の混合状態という、かなり危険な状況から奇跡的に復活できたのである。

 むしろ、今とても調子が良い。怪我の功名とはまさにこのことで、休職期間中の瞑想・ヨガ・呼吸の訓練は僕の人生を変えた。

 瞑想的な気分を獲得したことによる、無欲・無我・無双な感覚だ。

躁的な多幸感や万能感とはまた1種違った穏やかで心地よい心境である。
 躁的な幸せさとの決定的な違いは、心の落ち着きと圧倒的な集中力だ。
 依存やすがりつきもすっかり無くなってしまった。体も軽い。断酒や食事制限などの節制・セルフコントロールも思うがままだ。自分をコントロールできる感覚は本当に心地よいものである。

 そこには物質的な豊かさだけでは得られない幸せの境地があると確信している。
 究極の俗物だったこの僕の、次の夢は今や、出家して坊さんになることである。

 僕はかつて、精神的肉体的に徹底的に追い込まれたからこそ、今のとてつもない健やかさがあるのだと思っている。

 もしかしたら僕がキチガイだから瞑想が特に効果的だったのかもしれない。
 キチガイに刃物というとちょっと意味合いが違うが、

 双極性障害者に瞑想は鬼に金棒だと僕は思っている。

だがきっと健常者にだって、瞑想はとってもいいものなのではないかと思う。
 いや、確信している。きっと良いに違い無い。

 だから僕は本書で瞑想の素晴らしさを伝えたい。

>>次に進む>> || もくじ ||本を買う(itunes store)

0 件のコメント:

コメントを投稿