【双極性障害】 混合状態という地獄。うつと躁が同時に襲いかかってくる状態

 さて、休職初期、7月頃の混合状態での話を続ける。

 7月後半は午前中が躁、日中が正気、夕方から寝るまでは鬱で就寝前は自殺願望と戦う、という規則正しいリズムが続く。

 7月前半はこのリズムすら無く、苦労した。数時間おきにぐるぐるぐるぐる人格が入れ替わり、何もできなかった。1時間後の自分が、未来が、どうなるか想像がつかなかった。そんな状況だと何も計画を立てれないし、何もできなかった。怖いのであえて何もやらなかった。必死だった。できる限り何もやらないというのは、極めて衝動的だったその頃の気分からすれば困難を極める、まさに命がけの挑戦だった。

 そんな中、一つだけ良かったことがある。

 正気とは何かを自分の中で掴んだのだ。

 自分が目指すべき人格が、ゴールが、明確になった。
 ゴールさえ明確ならば、気分改善の取り組みを行うにあたって、その結果の良し悪しを判断できるようになる。様々な気分を立て続けに経験することで、普通の健常者よりも自己の気分に敏感になったはずだ。今、僕は誰よりも心身ともに健やかだと思っているが、この境地にたどり着く為にはこの経験は欠かせないものだった。この点について、僕は恵まれていると感じている。


その後、精神安定剤と睡眠薬を服用して休憩に全力を捧げ、生活のリズムに気を使い、思いつく限りのやれるだけの心を落ち着けるための所作に没頭すること約2週間、辛うじて人格の入れ替わり周期をとりあえず規則正しくデイリーな感じまで持ってこれたので、僕はようやく日々の行動について計画が立てれるようになり、行動的になれた。

行動的に、なってしまった。散財の始まりだ。


7月後半。
 午前中は凄まじい行動力である。万能感と多幸感に包まれてまさに有頂天だ。

 頭もキレッキレでああ俺は天才だなとか真剣に考えながら思いつくことをガムシャラにやってしまった。だいたい昼になると疲れ果て、我に返って正気に戻り、とにかく休憩しないとと思い、おもむろに昼寝を始める。
 夜は食事作ったり読書をしたりのんびりしたけど基本的には鬱傾向だ。夜寝る前はこの先の未来に絶望しながら、強力な睡眠薬を服用して就寝した。そして朝起きたらまた躁有頂天で幸せ絶頂。

 落ち着かない忙しい日々だった。もちろんそんな状況でもとにかく休憩にだけは気を使っていた。僕なりに必死に気を使ってはいたが、躁の落ち着きのなさにはなかなか太刀打ちできず、だいたい疲れ果てていた。

 ちゃんと常識的な範疇で疲れを感じて適切に休憩できるようになるまで3ヶ月、疲れをきちんと自覚して、ちゃんと休憩するようになれるまで結局、半年はかかっている。

 休憩が極めて難しいという感覚は、おそらく健常者には理解しづらい躁鬱病特有の病相だと思う。

今でも僕は休憩が下手だ。感覚を頼りに疲れを把握して休憩することはできないので仕事ではポモドーロテクニックを駆使せざるをえない。

 話戻って療養休職し始めの頃だが、日々の躁タイムは引越しに没頭していた。
 家具や生活用品を必死に揃え、とりあえず賃貸ながら素敵な新居が完成した。そこでまずかなりの金が消えた。
 
 次はバイクと自転車の改造に勤しんだ。まさに夢中だった。また金が消えた。それはもう、すごい使命感だった。結婚前になんとしても改造をやり遂げねばという、謎の使命感。我ながらかっこよいバイクが完成した。大満足だった。

 躁は本当に恐ろしい。金銭感覚が如実に吹き飛ぶのだ。

何もかもが我慢できない。貯金の残金とかキャッシュフローがどれほど破綻していることに自覚的であったとしても、僕のようにたとえ愛する人との結婚が控えているとしても、我慢できるような状況ではないのである。実に病的だ。

煩悩に人生がめちゃくちゃにされていく感覚は恐ろしいものである。


 7月下旬
 バイクのチューニングが落ち着くと、次はせっかくの長期休暇なのだからとりあえず旅に出なければ!!という、これまた謎の使命感が湧き出てきた。僕はフィリピンでのバックパッカー旅行の計画を必死に練った。考え抜いた末、来月妻となる予定の彼女に相談すると
「それのどこが病気療養なの?バカじゃないの?」
と軽く一蹴された。かなり怒られた。
ああ、確かに、、と僕は少し我に返った。
そこで僕は仕方なく質素なバイク旅行を計画し始める。

 体調が少し落ち着いた7月下旬から8月にかけ、僕はいろんなところを旅した。
 この旅で僕の状況は少し良い方向に変わった。旅の途中で知人に会い、色々と相談していく中で少しづつだが自分をまともな方向に向けることができた。

一方、金は尽きた。

来月にはいよいよ入籍だというに、
貯金を完全に使い果たす休職中精神障害者31歳11ヶ月が、
そこにいた。僕である。

 そんな自分に夕方ごろとかに定期的に絶望しながらも、休職期間中はなんだかんだ充実していた。最高に幸せだったり最低に不幸だったり、元気ありすぎたり元気なさすぎたり、毎日本当に忙しかった。

 充実感はあった。休職して本当に良かった。それらはすべて貴重な経験ではあった。とはいえ、危うく自殺するところだった。本当に危うかった。

 そう、これが双極性障害の混合状態というものだ。

躁鬱病が悪化すると、どれだけ人生がめんどくさいことになるか、
皆様に少しでも伝わればこれ幸いである。

 これが普通の鬱ならば悪化したら死ぬ気力さえ無いのである意味安全だが、躁鬱病混合状態の場合、将来への絶望に妙な使命感と行動力が兼ね備わった極めて危険な状態になってしまう。僕も稀にある正気に戻ったひとときは入籍前までにうっかり自殺しない可能性は五分五分だなぁとしみじみ考えていた。

 双極性障害の自殺率は極めて高い。20年後自殺率は6%、自傷率は3~4割と言われている。


 病相が混合状態にまで悪化した時の自殺率はおそらくあらゆる病気の中でも飛び抜けて高いのではないだろうか。
 
 僕も自殺願望が病気の症状の一つと理解していても、躁から鬱に転じる瞬間の、心の底から湧き上がる自殺衝動を抑えることは、本当に苦労した。精一杯だった。まさに命の危険にさらされる、文字どおり致命的な病だと思う。

 そして、混合状態での躁の時の散財は本当にどれだけ後悔しようとも、
いくらなんでもヤバいと思えど、辞められない。例えば仏教ではこれを煩悩に心が焼き尽くされる、などと表現される。古今東西あらゆる宗教では強欲や煩悩は戒めなければならないものと位置付けるが、僕は今回でそれを身を以て感じることができた。

 自分をコントロールできない苦しみというは、実はかなりのストレスだ。


 散財そのものが後悔と貧困によるストレスを呼び、そのストレスからさらなる散財に発展する。僕は、貯金のある双極性障害者って、この世にはいないのではないかと思っている。むしろ、散財癖のある人は是非ともこの病気を疑ってみるといい。

>>次に進む>> || もくじ ||本を買う(itunes store)

0 件のコメント:

コメントを投稿