【瞑想テクニック】瞑想と祈りの関係。呪文唱えながら瞑想


 お経通読しながら瞑想は敷居高い。
 だがなかなかに良い。

 一心不乱に意味不明な呪文を唱えるのは立派な瞑想だ。

 小説やドラマのセリフなど、平易な文章の音読はオススメしない。
 意味がわかるからついつい読んで頭に入ってしまい、思考をストップするとはかけ離れた状態になる。

 各種宗教で祈りを捧げる際に呪文(意味不明あるいは難解ということ)を読む理由は心を滅するためのテクニックなのだと私は考えている。


 呪文音読による瞑想は、その呪文が自分の脳みそにとって意味不明なことが重要なので、呪文は正直何でもいい。
 もちろん自分の信仰に沿った呪文が良いが、無宗教であれば特に拘ることはないだろう。
 
 幸いにもあなたが外国語を知らないのであればヘブライ語の旧約聖書やアラビア語のコーランなどは意味不明感的には素晴らしい。それにもしかしたらご利益の一つもあるかもしれない。教養にもなりうる。
 
 仏教徒ならばマントラ(真言)ダラーニなどの
 サンスクリット語由来の呪文がいいだろう。
 漢文で書かれたお経でも構わない。
 さすがに南無釈迦牟尼仏とか南無阿弥陀仏だと短すぎて
 数百回も唱えることになるのでキツいかもしれない。
 

 自分にとって適切な長さかつ意味不明な文を一心不乱に読んでほしい。

1つだけ注意点がある。呼吸への意識は途切らせてはダメだ。
 意識的全呼吸で音読しないと瞑想としての意味が無い。
 これらは実に心が落ち着く。
 雑念排除のテクニックとしてこれほど有効な手段は他にない。
 
 欠点は周りから見たらキチガイにしか見えない点だ。
 特に無宗教な雰囲気漂うこの日本においては浮く。
 ぜひ隠れてやってほしい。

 例えば僕なんかは休職期間中、般若心経(般若波羅蜜多心経)を毎日20回くらいは通読した。最初は読みながらだったが2ヶ月もすると完全丸暗記して無意識的に口遊めるようになった。この境地まで来るとかなり瞑想が楽になる。何も考えずに般若心経を唱えれば、それだけで思考をストップできるのだ。

 今日は落ち着きがなくて呼吸や歩数を数えるだけでは心を止められないな、、
と思う時は、僕は般若心経を口遊む。すると不思議と思考がストップする。
7回唱えれば瞑想1インターバルといった感じだ。

 ちなみに何故僕が般若心経を瞑想時の呪文として選んでいるかというと、
 知人からオススメされたということもあるが、
 般若心経の教えの根幹が

「無我こそが究極の智慧で、全ては無であり、無こそは全てである」

という、瞑想の思想に沿ったものであったことが大きい。
 短いお経なので日々の瞑想で使うにはとても便利だ。
 幾つかの例外はあるものの神前・仏前・各宗派で分け隔てなく唱えて良い、非常に使い道の広いお経なので、般若心経は一種の教養としても悪くない。
 ちなみに僕は般若心経の教えがとても好きだ。

 瞑想の手段として僕の中ではなくてはならないものだが、
 人生のバイブルと言ってもいい。
 宗教の勉強にはまった時に色々調べたが、般若心経の教えが僕の中ではしっくりきた。

 ちゃんと宗教を信仰人たちは、日々の生活に祈るという行為が入ってくる

「祈り」は正しくやればそれも立派な瞑想だ。

それがいかなる宗教であれ、
敬虔で信仰心の厚い人たちというものは一般的には心が穏やかかつ健やかだ。(例外はもちろんある)
その理由の一つは、祈りにあると僕は考えている。

祈りは心を落ち着ける。
僕も毎日神棚に祈りを捧げている。

 コツとして、何かしらの崇拝対象に祈りを捧げる際、ついでに瞑想したかったら現世利益的なご利益を求めてはいけない。
 例えば幸せになりますようにとか、子宝に恵まれますように、などの具体的な願いは無欲・無我な瞑想的気分から遠のいてしまう。

 信仰する神への感謝の気持ちだけを抱き、具体的なことは考えず、ただ謙虚な気持ちで一心不乱に祈ればそれは瞑想の一つだ。

 要約すると、瞑想は意識と心を止めるテクニックだが、心を滅するのは現代人にとってとても難しいことなので、比較的無意識的にやれることであれば、気を紛らわすために適度やっても良いということを伝えたかった。

>>次に進む>> || もくじ ||本を買う(itunes store)


0 件のコメント:

コメントを投稿