【躁鬱病闘病記】妻との出会いと、僕の記憶障害(鬱による健忘症のエピソード)

 2014年12月23日、天皇誕生日。
 
 その日、僕は彼女にプロポーズした。

 本当はクリスマスイブにプロポーズしたかったのだが、当時僕は仕事が忙しく、有給なんて取ってる場合ではなかったのだ。このプロポーズは今でも正しい決断だったと信じている。

 その後、突然会社を3ヶ月休んだり、躁の勢いで全財産をバイクにつぎ込んでしまったりと結婚間際にとんでもなくドタバタしたが休職期間中の2015年9月5日、僕らは無事、入籍することができた。

 それは僕の32歳の誕生日。
 久々に無垢な幸せを噛み締めた1日だった。
 7月~8月は我ながら生き地獄だったこともあり、喜びもひとしおだ。


 今は妻と二人三脚で慎ましくも幸せに新婚生活を営んでいる。
 体は軽く、心も平穏で明瞭だ。
 このクリアな感覚を文章で平易に表現することは難しい。この適度に研ぎ澄まされ、決断力もあり、落ち着いて、クリエイティブで、平穏な感覚は、これから語る、僕なりの修行・努力で勝ち取ったものだ。

 だが、僕を変えるきっかけを与えてくれたのは、紛れもなく彼女である。

 僕は結婚を意識し始めた時から、なんとかして自分を変えなくては、と焦っていた。結婚は僕を追い詰めたプレッシャーそのものでもあり、その一方で変化のきっかけでもあった。結婚さえしなければ、躁鬱病でも辛うじて一人で生きていくことはできる。たとえバカにされてもクズ扱いされようとも、自分の問題として抱え込めばいい。でも家庭を持つとなれば、話は別だ。病気が、自分のクズさ加減が、自分一人の問題ではなくなるのだ。

 愛だけで結婚生活は成り立たない。
 僕の不安定さは、社会生活ひいては結婚生活を送るにあたり致命的な欠点であり、
おそらく彼女は絶対に耐えられないだろうなと、ぼんやり考えていたものだ。

 プロポーズの前後は今思い返せば鬱から躁へと人格がゆっくり切り替わっている時期だった。あの判断をした自分が、果たして正気だったのか、狂気だったのか、今でもよく分からない。結果的には良かった。やっぱり今は幸せだ。あの判断力がない時期に、よくもまぁ素晴らしい決断をしたものである。

 彼女とは2014年の8月に出会ったらしい。

 出会ってから婚約するまでの約半年、僕らは毎週のようにいろんなところへデートに繰り出していたようだ。彼女は神社巡りが大好きで、僕はバイクに乗るのが好きだったからバイク二人乗りで各地の神社に参拝するのが僕らの週末の日常だった。

 僕のFacebookにはそう書いてある。詳細は覚えていない。

 前述した通り、僕は2013年と2014年の記憶があまり無いのだ。
 当然、彼女と出会って半年間の思い出がおぼろげだ。幾つかの風景は写真のように覚えているが、そこにストーリーは無い。何もかもが断片的で、脈絡のない記憶しか、ないのだ。今でも妻と当時の思い出を語る時など、困り果てることがある。

 そんな感じで2014年は記憶がない程度で、まだマシだった。
2013年は対人コミュニケーションする気力や思考能力が無く、彼女を作るなんて到底無理な状況だったのだ。記憶もほとんど欠如している。そこから彼女ができるような状況まで回復したのだから、驚異的である。

 2014年の年末年始、僕は彼女と伊勢神宮に旅行した。
 この頃から僕の中での、僕と彼女の思い出が始まる。仕事のプレッシャーから解放され、ひとときの休暇を楽しんだのだ。彼女は神社の厳かな雰囲気が好きらしい。癒されるという。僕はと言うと、当時まだ宗教とか人並み程度しか興味はなかった。
 
 旅行は好きだった。いや、バイクや車での移動が好きだった。僕はそれまで観光そっちのけでバイクでウロウロするのが好きだったのだが彼女ができて以来、意識して神社巡りするようになった。それが今の僕の宗教観の土台を形成しているところもある。

 伊勢神宮旅行は妻との大切な記憶である。
 志摩のリゾートホテルでのんびり過ごしたことも
 内宮でこれからの幸せについて一緒にお祈りしたことも
 帰り道で大雪に見舞われてドキドキしたことも
 刈谷ハイウェイオアシスの観覧車で一緒に流れ星を見たことも
 今でもなんとか思い出せる。

 記憶を失うという経験は、まぁまぁ珍しいのではないかと思う。
 であるからこそ、思い出って本当に大切だなぁとしみじみと感じる次第だ。僕にとっての空白の2年間は、悲しみと喪失感でいっぱいである。

 皆さまはストレスで健忘症になったことがあるだろうか?
 たかがストレス、されどストレス、である。
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